イメージ作りのために必要な、嘘と捨象の使い方の件
そうかいそうかい、嘘はいけないのかい。
僕は、子供のころから正直な僕は小さな嘘をつくこと、それに順ずること(たとえば、あえて肝心な情報を言わないこと)にでも罪悪感を感じる子だった。皆さんのうち半分の方はそうじゃないでしょうか?
もう半分は、その場が楽しく、または、相手にわかりやすく伝わればいい、と勇気を持って器用に情報を加工できる方々。
そんな正直派と器用派の2派が対立する構図は、ついつい関心を持ってしまう。
たとえば、以下リンクのように、正直派が事実に基づく分析を通じ、わかりやすく情報を発信しているはずの器用派の主張のほころびを明らかにしている。
「イケダハヤトの収支を分析してみたら、年間所得は推定560万ぐらいだった」なぜ彼は年商を語りたがるのか? - さようなら、憂鬱な木曜日
「ドラマのやましい謎を紐解いて犯人を問い詰める」みたいな爽快感を感じる。
(本件に関しては、元データも十分と言えないなかの推定なのでそもそも「ほころび」と言えるかは疑問だけど…新鮮な切り口からの分析で面白かった!一定の人がそう思ったから記事ランキング上位に食い込んだのでしょう。)
2派の対立は逆も然り。
ぐだぐだ説明している正直派に対して、器用派が、要するにこうですね?と要らない情報を捨象して、論点を明確にすることは爽快感がある。橋下元大阪市長のイメージでしょうか。
会社でもこの捨象行為はつくづく身につけるべきスキルだと感じる。
社会人となり、多くの異なる部署や個性をもった人々に説明する際には、ある程度不要な情報を思い切って捨ててしまわないと、
主張したい内容が10のうち1、2割程度しか相手に伝わらない。
でもそれは嘘じゃない。捨象しているだけだ。
たとえば、漫画でも小説でも主人公は大体一人だ。1シーンごとに一人に焦点を当てて説明がされることが多い。
そのとき、脇役A、B、Cもしくは敵方D、Eの説明をしていたら
大事な一番伝えたい主人公の説明は他の文章に埋もれてしまう。伝えたい肝心なことが伝わらない。印象に残らない。
嘘にはならない程度に、自身の伝えたいことを過不足なく切り取る。
この作業にオリジナリティが出るのであろうし、読み手•聴き手を思う、書き手•語り手の想像力がためされているのだと思う。
極端な内容にすればするほど、売れる商品になるとは、幻冬舎の社長さんもインタビューで言っていたが、社内でも「売れる」意見となるには、捨象された極端さが必要なのだろう。
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くまに追いつき、追い越せ。